わたしと青い鳥

可愛いものやらスピリチュアルなことやら、好きなことを気の赴くままつらつらと。

こーの見栄っ張り!

私がよく読むブログのひとつ。

 

ibaya.hatenablog.com

 

彼の文章を読んでいて、そうか、と得心したことがあります。

 

そうか、私は見栄っ張りだったのかと。

 

誰に対してでもなく自分に対して、私は見栄を張りたくて必死でいるんだと。

 

 

可愛くありたい。

スタイル良くありたい。

賢くありたい。

優しくありたい。

 

 

私のこれらの願望は、すべて自分に対しての見栄なのではないかと思いました。

もちろん向上心とも言えるので、それでいい。

悩みの種となるのは

 

 

可愛くありたい…けど可愛くないから駄目だ。

スタイル良くありたい…けど太ってる、恥ずかしい。

賢くありたい…けど同じ失敗ばかりだ、どうして。

優しくありたい…けどすぐ怒ってしまう、情けない。

 

 

ちなみに後半は漏れなく(°∀°)がお届けしてるよ!

 向上するには比較対象を持つのはいいことだと思う。

目標が曖昧だとどうすればいいかとっ散らかるし、努力が分散して結局中途半端になりそう。

ただ重要なのは

 

…だけど駄目だ

 

って感情で終わってしまうこと。

内なる批判(°∀°)も頑張る要素の一つとなるわけだけど、そいつの言いなりになってしまってはブレーキにしかならない。

 

でっかい見栄を張りたい。

自分はこんなに素晴らしいんだ!って思いたい。

そうなるには

 

…だけど駄目だ…って思っちゃう私でも良いや!

 

 と上げて終わることが大事なのかもしれない。

内なる批判(°∀°)は自分を守るためにいるので(ただ、非常にうるさいし非常に細かいしやけにリアルな感じ醸し出すの上手だし、いつでもどこでも呼んでないのに出てくるけど)、それはそれで置いておいて。

そう思ってもいいや!だって人間だもの!

(°∀°)えー?本当に良いと思ってんの?と言ってくるでしょうが、うるせぇわ!と一蹴することにします。

だって私まだ悟ってない。

仙人じゃないし聖人君子でもない。

煩悩イズ私と言っていいくらい、まみれておりますのでね!

 

 

きっとどこか穢れのない、煩悩が限りなくない存在を求めているからこそ見栄を張りたい。

いっそその見栄を捨てても生きていけるんじゃないかなと思ったわけです。

 

私何にも持ってない!

何にも出来ない!

だから助けてね!(自分もやれるだけやってみるから)

 

そう開き直っても、案外人間生きていけるんじゃないかなと思うんです。

自分には何もないことを自分が許せるようになったら、私が出来ないことは誰かが出来て、私が持っていないものは誰かが持っていて当たり前。

それが普通なのだから、比較して悲しいとか悔しいとか、そういう思いが少しでも減るのでは。

そう思ったら開き直り上等!となりました(笑)

いい意味で助けを求めるって、恥ずかしいことじゃないのかも。