わたしと青い鳥

可愛いものやらスピリチュアルなことやら、好きなことを気の赴くままつらつらと。

止まることとは

悶々として、行動になかなか移せない。

移したいのに何がしたいかも分からない。

閉塞感と、それを突破したい、でも突破口が見つからない。

分かっていても身体が動かない。

 

 

こんな心境で過ごしているわけですが、さすがというか何というか友人からお誘いがあってお出かけしました。

グダグダとこのモヤモヤについて話していたわけですが、

 

「止まったら死ぬの?私はいつからマグロと話していたんだ」

 

と言われました。

オレンジの服を着ていたんですけど、赤身を表現しているのかと。

「活きがいいねぇ!」ってそんなわけあるか。

 

 

言葉に書く、話すってやっぱりぼんやりした自分のもやもやを形として表現出来るので、私にとっては大切な行為です。

話している中で、

 

・目標もなくただ生きているのが恥ずかしい

・何がしたいかも分からない

・でも何かしなきゃと思っている

・しなきゃと思う割に動くのが億劫

( ゚∀゚ )こいつが色々言ってくる

・そしてそれに唯々諾々となっている

 

という気持ちでいることが分かって、結果マグロ(回遊魚)だとなりました。

( ゚∀゚ )「みんな生きていて、煌めいておるなぁ…。なのにお前ときたら…」と駄目出しが来ているのに、私は駄目出しが来ていることさえ気づかないうちに「へへぇ。本当に私は駄目なクソ野郎です」と頭を垂れていたわけです。

 

 

友達曰く、

「目指すところが仙人なわけだから、そりゃ理想が高くて当たり前なんだよ。

今まで釘バット持ちながら駄目出ししているのが、何年もかけて木刀になって竹刀になってきたわけだ。

しかしさながら教官のようにいつでも殴れるスタンスは崩れてないね?

世で言う”自分に甘い”人はそもそもそのスタンスでいないからな」

 

私「嘘を言うでない」

 

 

どうやらいつでも戦闘態勢(対自分)でいたようです。

友達は私の現状について「普通」と言ってくれて、ようやくそうなのかーと思えました。

きっと私の課題は「止まることを知る」こと。

止まること=成長への放棄、自己価値の更なる急落

それくらい怖いことなので、どれだけ精神的にも身体的にもエネルギーがなくても動こうとしてました。(動けていないけど)

それは完全なる悪だったわけです。

止まるなんて死と同義!!くらい。

他人との比較が出てきて、置いて行かれる感じがとっても怖い。

完全に自分が作り上げた他人と同化してますね。

自分がフライアウェイしてどこか行ってました。

そしてお得意の「本当に?」作戦。

そうだ、その手があるじゃん!と思いだしました。

 

本当に止まったら死ぬのか?

成長は見込めないのか?

そもそも止まっているのか?

止まるとかどういうことなのか?

 

本当に私には価値がないのか?

 

 

どうにか小さくてもいい、突破口を!と望んでいた私に、昨日大きな突破口をもたらしてくれた友達には感謝しかないです。

あと、やっぱり引き寄せだなーと痛感しました。

友達の誘いに乗るという普通のことだから分からないかもだけど、ちゃんと望んだことが来ていたわけですから。

受け取るぞー(チョコラBB飲みつつ)