わたしと青い鳥

可愛いものやらスピリチュアルなことやら、好きなことを気の赴くままつらつらと。

擬似カウンセリングな毎日

友人が我が家に居候始めて、ふと気が付くと精神的に安定している。

はてはてどうしてかと思って見返すと、おそらく会話があるからじゃないかなと思い当たりました。

最初は気を張っているからかなとか、良い恰好したい(良く見られたい)から頑張っているからかなと思ったけど、これだけ続くわけがない。

だってそれしんどいから。

 

 

私の友人は心理学を私に勧めてくれた人なわけですが、もちろん本人はもっと勉強して仕事でも使っていたのでとっても聞き上手。

話を「聴く」ことは非常に技術のいることで、一石二鳥で身につくものじゃないし癖も出て来たりで厄介なもの。

そんな彼女に日々のくだらない事だったり、悩みだったり、未来の事だったりを話して聞いてもらっているだけで疑似カウンセリングを受けているように、自分が安定したわけです。

 

ちなみにたまたま聞いてくれている彼女が技術が高いだけで、おそらく「会話をする」作業そのものが自分にとって良かったのだと思う。

 

会話をする⇒言葉に出す⇒頭の中を整理する

 

相手がいての会話となると、相手に理解をしてもらおうと言葉を探します。

ところがどっこいぴったりな言葉ってなかなか見つからないもの。

そして私の乏しい語彙力が加勢して、さらに貧弱な表現になる。

これじゃない、こういうことが言いたいんじゃないんじゃー!!!と思うことも多々。

しかし友人であるという関係性に助けてもらって、気持ちを汲んでくれてるわけです。

「~ってこと?」って相手の語彙力に乗っかって「そうそう、それです」と自分も納得する。

 

相手を通して自分と対話をしてみると、まあ何というか愚痴が多い(笑)

あとはそう好きでもないお局のことばかり注目していることを客観的に感じて、「そんなに好きか!」と愕然としたものです。

好きの反対は無関心は正しいんだな。

あれだけ「嫌いな部分」を挙げられるってことは、それだけ相手を見ているわけだし「嫌いな部分」を自分で作っているわけです。

それに気づいた瞬間、嫌だな止めようと決めて徐々に気持ちを向けないようにしております。

まぁ隣なんでね、そう簡単には出来ないんですけどね。

でも不思議なもので、「考える」って自分の意志でしているはずなのに「出来ない/考えてしまう」って相反してますね。

やるも止めるも自分で出来るはずなのに。

ひとまず相手の発言に対して付帯する自分の気持ちを減らすようには出来るんじゃないかと、ちょっとお試し。

何にせよ、おかげでPMSは落ち着いてて嬉しい限り。